
浅草寺の本堂から仲見世方面へ戻り、宝蔵門をくぐろうとすると、左右にひときわ大きなわらじが掲げられています。 観光客の多くはスマートフォンを構えて写真を撮りますが、それが山形県から来たものだと知っている人は、東京ではそう多くありません。
始まりは、雪害解決の記念だった
この大わらじの歴史は、昭和16年(1941年)にさかのぼります。村山市出身の代議士・松岡俊三氏が、 雪害問題の解決記念と、当時の戦勝祈願を込めて浅草寺に奉納したのが最初でした。
昭和39年(1964年)、宝蔵門の復元にあわせて仁王像が新たに彫られることになり、 これも同じく村山市出身の彫刻家・村岡久作氏が手がけています。この縁から二度目の奉納が行われ、 以後はおよそ10年に一度、大わらじを納め替える習わしが続いています。
「このような大きなわらじを履くものが、この寺を守っているのか」
驚いた魔物が去っていく。そう伝えられています。
編んでいるのは、荒町の人たち
製作と奉納を担っているのは、村山市楯岡地区にある荒町の町内会です。 2018年10月には8代目となる大わらじが奉納されました。材料の稲わらは、奉納のための田(奉納田)で用意されます。第8回では、田植えから稲刈り、脱穀まで荒町の人たちが手がけました。 単なる稲わらではなく、この一足のために育てる稲がある、ということです。
わらじには左右の違いもあります。着物と同じように、左の鼻緒が前に重なるのが「男わらじ」、 右が前にくるのが「女わらじ」。本堂から見て左側に男わらじ、右側に女わらじが掛けられています。 これは製作や行列の際に左右を区別しやすくするための決まりだそうです。
浅草と山形をつなぐ、10年に一度の旅
大わらじは村山市で編み上げたあと、浅草まで運ばれ、仲見世を練り歩く奉納行列とともに宝蔵門に掲げられます。 この奉納が縁となり、東京都台東区と村山市は平成20年(2008年)に友好都市を締結しました。 観光物産展や少年野球交流など、浅草寺の奉納をきっかけに始まった交流は、いまも続いています。
浅草を訪れる年間何千万人という観光客のうち、宝蔵門の下でわらじを見上げる人は多くても、 それが山形から来たと知る人はごくわずかです。知られていないのは、産品や観光地だけではありません。 東京のど真ん中に、山形の手仕事が10年に一度、静かに掛け替えられている場所があります。
参考:村山市公式サイト