
山形市内を歩いていると「銅町」という交差点名や町名に出会います。全国的にも珍しいこの町名は、 江戸時代初期に山形城主・最上義光が鍛冶町から鋳物師17人をこの地に移し、鋳造を中心とした町づくりを 進めたことに由来します。日本における工業団地の先駆けとも言われています。
始まりは、平安時代の兵の忘れもの
山形鋳物の起源は、さらに古く平安時代後期にさかのぼります。前九年の役の平定のため山形地方を 転戦していた源頼義の軍に従軍していた鋳物職人たちが、山形市内を流れる馬見ヶ崎川の砂と、 周辺の土質が鋳物の型作りに最適であることを発見し、一部がこの地に残ったのが始まりと伝えられています。 戦のためにこの地を通っただけの職人が、土の質だけを理由に住み着いた、という話です。
約900年山形鋳物の歴史
1975年国の伝統的工芸品に指定
馬見ヶ崎川型に適した砂の産地
薄く、繊細に仕上げる技
山形鋳物の特徴は、薄肉で繊細な造形にあります。鉄瓶や茶の湯釜などの日用品として作られてきたほか、 紋様押しといった、きめ細かな鋳肌をつくる技法も受け継がれています。
戦のために通りかかった職人が、土の質に惹かれて住み着いた。山形鋳物は、そんな偶然から始まったと伝えられています。
鉄瓶は、漆を焼き付けたあと、酢に鉄を溶かして発酵させた「おはぐろ」と呼ばれる液を塗って仕上げるとされます。 使い込むほどに表面の色合いが深まることから、「育てる道具」ともいわれます。 買った瞬間が完成形ではなく、使う人の手で仕上がっていく道具だという考え方です。
出典:山形県、東北経済産業局、山形県ふるさと工芸品サイトより。